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BOSSブログ

2023.10.09 【前職① 就職活動】

朝晩の気温差が大きい月曜日☀️

 

一昨日の講演もあって、過去を色々と整理してみた。想い出がたくさんあり過ぎて、これまでの人生が恥ずかしくもあり、また懐かしくもある。現在こうして生きているのも、全て過去の様々なシーンで自ら決断したことの結果である。そして、色々な方々に巡り合いお世話になったからだろう。そんな自分を忘れないために、また好きになるために、少し昔を振り返ってみようと思った。

1983年10月のとある日。「ヤバい‼︎」と椅子から飛び起き、時計🕰をみたら「8:25」 間違いなく遅刻だ。急いで紺色スーツに着替え、「九品仏」駅まで走る。1区で乗り換え、「八丁堀」駅で降りてまた走り、着いたのが「9:30」…    内田洋行の面接試験は9:00。携帯電話が無い時代である。試験官は2人で、30分も待っていてくれた。人事部長のNさんと課長のKさん。近藤商会にとって最大の仕入先であり、また個人的にもNさんと叔父は親しい間柄だった。Nさんは温厚な方でニコニコ笑いながら「寝坊したのかな?」と。隣りのKさんは明らかに怒っているように見えた。呆れていたというか。当然だ。とにかく一応の面接は終了した。最後にNさんは「相川くん、学生時代は良いけど、社会人は時間を守るのが基本だからね。」と優しく諭された。恥ずかしくて穴があったら入りたい気分だった。

前夜、いつもの麻雀仲間から声が掛かった。メンツが1人足りないから来て欲しいと。明日試験なのでムリ、と断ったが断りづらい事情があった。その頃は勝率7割でソコソコ勝ち組だったのだ。もう夜の生活🕺からはほぼ離れていたが、麻雀だけは続いていた。 結局終了したのは朝4時、アパートに戻り寝ないつもりだったが、ついウトウト…。

当時23歳、大学6年の秋である。受けても受けても当然のように不合格。なかなか就職が決まらない私に、心配した叔父が紹介してくれた会社だ。とにかく、やる事なす事全てがダラしなくて、自慢にならないが「落ちこぼれ」という言葉がピッタリだ。「遅刻までしたんだから、この会社もきっとダメなんだろうなぁ。またアルバイト生活に戻るしかないな…」と。それ以上に、叔父に恥をかかせ迷惑かけてしまった!」という後悔でいっぱいだった。

Nさんが、この事を叔父に伝えたのかどうか?判らない。私からは誰にも伝えていない。4年前、とある場所でNさんに偶然お会いした。ご挨拶をしたが、ご高齢のせいか当時の事は覚えていないご様子。甘酸っぱく気恥ずかしいところはあるが、笑い話に変えられたように思う。

あの時、面接を落とされていたら、現在の私はいなかっただろう。

まぁ、そんな経緯があり、1984年4月1日

内田洋行に入社することになった。    …つづく