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BOSSブログ

2023.10.15 【前職③ 配属】

連日好天の日曜日☀️

 

〜前回より〜

当時の内田洋行は、「発売元的専門商社」と言われ4つの事業部があった。事務機器事業部・教育機器事業部・電子計算機事業部・貿易事業部。事務機は売上トップ、教育は業界トップ、電産は将来性抜群、貿易は華やか…各々、特徴があり独立採算制を敷いていたので、事業部が違うとまるで別会社のようであった。7月には何処に配属されるのか?皆、期待と不安でいっぱいのようだ。私は当然、どこでも良かった。特に興味あるモノも無く、どこに行っても同じだと思っていた。

配属先は電子計算機事業部だった。ブランドは3つある。USAC(Uchida Standard Automatic Computer)・FACOM(富士通オフコン)・SEIKO(セイコーCAD)    叔父と父で相談したらしく、会社の将来を考えるとUSAC部門が良いだろうと。そんな訳で決まった。

コンピュータ💻など見た事も触った事もないし、そもそも「オフコンって何?」である😅 「教育センター」で3ヶ月間の営業基礎訓練「特販」を受ける。場所は東銀座駅近くの国土館ビルの2F。同期メンバー+全国から集まった代理店の新人も合流した。その中に、DXセンター長の中村昭もいた。5つに班分けされ、私と中村は4班に配属された。チーフはGさん、森田健作似の元気印だ。

毎朝、「USACセールスマンの条件」を大声で唱和して、17時までテリトリー内の営業活動をする。声は大きいので、そんな役目はたいてい私だった。それくらいしか取り柄が無かったのである。私は港区の新橋界隈と目黒区の一部を担当した。まずは毎日”100件飛び込みと名刺50枚”の獲得である。初めの頃は真面目にやっていたが、なかなか成果が上がらない。名刺もそう簡単にはくれないモノだ。段々と嫌気が刺し、次第に「サボる」ようになった。喫茶店で時間を潰してみたり…。他の連中もほとんど同じで、映画を観たり、公園で昼寝してたら真っ黒に…なんてヤツもいた(笑)しかし、チーフの目も節穴では無いので、そんな事はお見通しだ。成果が上がらないのだから、ウソの日報も少し追及されると辻褄が合わなくなり、バレてしまう。まぁ、そんなモノだ。

性善説という言葉があるが、サボってばかりいるとそんな自分が嫌になり、少しずつ真面目に動き出した。継続すると、良い変化が現れてきた。「デモのアポイント獲得」の実績も初めはビハインド状態だったが、夜討ち朝駆の気合いで獲った。しかし、色々な意味でまだまだレベルは低いという感じである。

座講の時間、これが苦痛だった。当然、コンピュータ💻の勉強だが、殆どアタマに入らない、というか理解できない。家に帰ってから復習…という気にもならない。周りはドンドン理解度が増し、取り残された感覚だ。

毎朝の3分間スピーチ。コレも苦手だった。しかも誰に当たるか分からない。「オマエ、考えてきたのか‼️」とG氏の罵声が飛ぶ。その日、私は何の準備もしてなかった。そして20秒も話せなかった。3分間、沈黙のまま…。私は「チッ、もうどうでもいいや…」と心の中で開き直ってしまう。もう、それしかなかった。思えば、私以外の人達の方が居たたまれなかったのではないか?

Sセンター長が心配し、個別面談を。「将来、社長にならないとしても、近藤商会に入るのなら、もっと頑張りなさい。今のままだと池見さんやお父さんも困るし、他の社員に笑われてしまうよ。」また図星を刺された。もう24歳。ふて腐れたり、落ち込んでいる場合ではないのに…何という体たらく。

結局、「特販」では1台も受注できずイイ所無し                 …つづく