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BOSSブログ

2023.10.16 【前職④ プログラム研修時代】

今日も秋晴れ☀️の火曜日

 

〜前回より〜

「特販」後、再びウチダ新人だけの研修になった。 時代はOAブームの風が吹いていた。工場の自動化が先行し、次の主役はオフィス。コピー機・ファクシミリ・ワープロ・オフィスコンピュータ…メーカー各社は順調に売上を伸ばしていた。特にコンピュータ業界は「ソフトウェアクライシス」、このままではSEが不足するという事態が予測されていた。また、それまでのオフコンは「自動帳簿付けマシン」のような位置付けだったが、これからはデータベースという考え方が主流になり、蓄積したデータを営業や経営に活用して行こうという機運になっていたように思う。そこで業界は早急にエンジニアを養成する必要に迫られていたようだ。

そんな理由で、7月より全員「プログラム作成研修」に入った。ここでも「いやだな」と思った。昔から機械イジリはあまり好きな方ではないし、キーボードを打つなんてとんでもない!という感じだ…。ハードは「USACカマラード」8㌅フロッピー💾付き、言語はCOBOL。事務処理用としては最もスタンダードなものだ。まず1番簡単だとされる「バッチの作表」から始まった。プログラム定義書が渡された。確か「月次売掛残高一覧表」だったかな?表の意味については、ほぼ理解できる。20歳頃、回収業務のお手伝いをした事があるので。

しかし、フローチャートが描けない。コレがキチンとできないとコーディングに移れないのだ。周りは着々と進んでいるようだ。私は焦るばかり。ようやくフローチャートが完成すると、皆はもうコンパイル(翻訳作業)に入り、特に優秀なヤツは、もうデバッグの終盤で完成に近い状態だ。心配してくれた彼等に色々教えてもらった事もあった。その頃は、それが悔しいとも思わずにただ焦ってばかりいて、それは嫌な現実から眼を背けたい一心だったのかもしれない。    劣等生…自分で勝手に腐っていた。

その後、「日時更新」→「商品問合せ」→「売上伝票発行」…とプログラムの難易度も徐々に高くなっていった。まぁ、なんとか6ヶ月間、持ち堪えた感じだった。システムエンジニアの世界は、ロジックが重要だ。後年、経営者になり「非情な合理化」に着手するようになったのは、この頃の経験が大きく影響している。

しかし、私の低空飛行時代はまだまだ続く。28歳頃まで。

39年前の話だが、不思議なモノで、現在でもキーボードを前にすると、指が自然に動く。

「run_seu…」「run_cobol、〇〇、rep…」当時の代表的なコマンド。「identification division.  environment division. data  division. procedure  division.」

もしかすると…まだCOBOLイケるかもしれない⁉️😁(笑)