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BOSSブログ

2024.02.09 【前職⑦ 営業マン時代 】

気温4℃の暖かい金曜日🌤

 

https://www.kond.co.jp/wp-admin/post.php?post=19478&action=edit

(前回より続く)

SEの仕事は2年間で一通り経験したが、エンジニア👨‍💻という仕事は肌に合わないと感じた。もっともそんな風に言えるほど量をこなしていたわけでもない。ホンネは、他人よりも劣っていると感じていただけ。戯言に過ぎず、所詮は負け犬なのだ。営業になりたいと思った。コンピュータ💻の事はハードもソフトウェアもソコソコ詳しい。営業なら上手くやれるかも…ここでも大きな勘違いをしていたのだ。

電京2課に配属となった。27歳。USACオフコンの販売組織だ。W課長のもと実力派の精鋭部隊が揃っている。私の担当は旅行業界の小売業。専門ソフトウェア「ニューリテール」を引っ提げ、しかも急成長を続けている市場だ。売れないワケが無い。結果的に予算は達成する。しかし、担当代理店からの注文に頼るだけの数字達成だ。「自力で売ってきてみろよ!新規顧客を開拓しろよ!」代理店の社員にも営業課の先輩や後輩からも冷ややかな目で見られる。営業会議も出席するのも苦痛だった。半年間、1台も売れなかった。「相川、来月の見込みはどうなってるんだ?」答えられないのだ。代理店の営業マンとの関係が悪いので情報が入手できない。気持ちは焦るばかりだった。後輩たちからさえ、差をつけられている。

厳しく優しい先輩からのアドバイスで、既存顧客の深掘りを試みる。大手企業のKNT・NTAの全支店に営業活動を開始した。支店毎に決済可能だったので、ほぼ新規開拓と同じである。「旅行会社一覧」や「電話帳」を観て、片っ端から電話し、訪問・デモ・見積もり・クロージング…を繰り返し、1年後にやっと実績が付くようになった。

当時の先輩達からは、相当厳しくやられた。会議でもメタメタだった。今でも「アイツはダメだったよな」と言われているだろう。

この2年間に味わった屈辱感を、私は生涯忘れない。数字に対する執着・納品業務の手配確認・顧客との正しい約束・窮地に陥った際の解決策…現在の私が良く「確認をしたか⁉️」は、ここで培ったものだろう。

当時、まだ甘かった私は指摘されると不貞腐れたりしていたが、当時の先輩方には貴重なご指導と叱咤激励を頂戴し、今は心より感謝を申し上げたい。

そして、2年間ようやく営業にも慣れてきて「よし!これから…」というタイミングで、また異動することになる。

(次回は、スタッフ時代…)

 

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生後2ヶ月の🐶&48歳の🎩♬😁