2024.02.16 【Happy Birthday Sweet 64♬】
昨日より続く雪模様の金曜日☃️
昨夜は、楽しい誕生会🎉🎂だった♬
会食後、bar h🍸へ
ネネ👩&マスター浩と3人で歓談していたら、知人のHさんがやってきた。2つ歳下の彼とは、偶然にもあちこちでよく出会す♬😁 レコード好きで、ディスコ🕺も好き😍 次回6月イベント🕺は是非!参加してくださいね♬🤗
久しぶりに64年前のアルバムを引っ張り出してみた。もうボロボロ状態で写真もバラバラになっていた😅(笑)
借家住まいの頃、私と母🤱
丸々と太っていた🤣(笑)
1960年、戦後15年経ち、日本は復興し高度経済成長期に差し掛かっていた。4年後の東京オリンピックに向け、世の中が期待で湧き上がっていた年だ。また、カラーTV📺・インスタントラーメン🍜・ダッコちゃん人形…大ヒット商品が次々に発売された年だ。
天皇陛下が、私が生まれた8日後にご誕生になる。呼称は「浩宮」様。その後生まれた男子には宮様にあやかって「浩」という一字がつけられるのが流行ったものだ。そういえば、bar hマスターも5月生まれで「浩」である😊
父は26歳、早くに父親を亡くし高卒で「たくぎん」松風町支店に勤めていた。勉強が出来て大学志望だったが、幼い弟妹を養うため就職せざるを得なかった。母は24歳、近藤商会社長の令嬢で末娘。当時としては不釣り合いな結婚だったが、彼の誠実さを祖父が気に入ったらしい。
結婚後、父は青柳町に一軒家🏠を借りた。宝来町会館の斜め向かいに。私はそこで生まれた。家には電話・ラジオはあったが、他の家電は一切無く風呂も無い。当時の父の月給は6,000円。真向かいに、専務の叔父家族が住んでいた。そこに2歳まで住んだ。その頃の西部地区は、とても賑やかなエリアで、丸井デパート🏬・十字街商店街・五島軒をはじめレストランや料亭等、とても活気があり華やいでいた。
叔父(母の兄)の家は、会社に隣接した大きなお屋敷🏠で庭も広く犬🐕もいたし、家政婦がいた。私は歩けるようになると、毎朝のように叔父の家でご飯を食べて、風呂に入って、テレビ📺を観て…という優雅な生活をしていた記憶がある♬😁(笑)3歳になる頃、「大卒に負けてたまるか!」と頑張っていた父は抜擢され新宿支店に転勤することになった。東京で社宅暮らしをすることになり、私は今までのような贅沢は許されない生活に戻る事になった…😂(笑)
ちなみに、上の写真🤳は、まだ1歳未満の頃である。
※オマケ
ポッキー🐶の横顔、大好きだヨ♬😍