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BOSSブログ

2024.02.21 【祖父の思い出】

 

1986年5月4日、祖父が急逝した。前日まではとても元気だったのに。湯川の自宅🏠から片道徒歩20分。母の家に遊びに来た。「家でご飯食べていく?」と母。「いや、今夜は肉🥩だから帰るよ♬」👴 ハイカラな祖父は洋食が大好物だ。その夜、普段通りに就寝した。そして、そのまま永遠の眠りについたのだ。享年82歳。いわゆる大往生であり、ある意味幸せな最後だと思う。全く苦しまず、誰にも迷惑をかけずに亡くなったのだ。人徳というものであろうか。

社葬を執り行い、全国よりたくさんの弔問客が訪れた。叔父よりご挨拶があり、私の知らなかった祖父の過去が披露される。祖父は近藤商会を設立する直前まで、北海道農業会の幹部であった。若い頃は七飯農会の技師で、ジャガイモ🥔を中心とした野菜の品質改良や販路拡大まで幅広く活躍していたようだ。とりわけ「男爵いも」については力を入れていたらしい。函館ドックを立ち上げた川田龍吉男爵は造船技術を磨く目的でイギリス🇬🇧留学をしていた。学生時代から趣味だが本格的に芋🥔の研究をしていた。函館の地に着き、七飯の土地を見てイギリスとの共通点を感じ、芋🥔の栽培にも力を注いだ。そのような経緯からその名が付いたのだ。祖父👴も芋🥔の事で相談があると男爵の下に出向いていたらしい。農業に心血を注いでいたのだが、一念発起で近藤商会を立ち上げる事にした。人生の転機、運命なのだろう。

1960年代までの祖父👴は会社ではとても厳しかった!と古参の社員から聞いたことがある。電話が鳴ると両手に受話器📞を持ちながら仕事をしていたと。「マジか⁉️」嘘かホントか?分からないが、生きるか死ぬか?の瀬戸際で仕事をしていた時代だったのだろうと思う。

しかし、私にはとても優しい祖父だった。末娘の1人っ子で、人懐っこい子供だったから余計に可愛がられたのだと思う。我が家はサラリーマン家庭で普通の中流家庭だったが、私だけは昔から何かとお小遣いを稼いでいた。ラッキーマン♬🤞❣️😁(笑)

大学を卒業出来ずに低迷していた時も優しく声を掛けてくれた。事情がありアメリカ🇺🇸に留学する時も費用は全て祖父が援助してくれた祖父。

貴方が創業した会社は、永遠に高みを追求します❗️😃

 

BOSS🎩と同じ64歳の祖父👴

フェルトハット🎩とロングコート🧥がダンディ♬😃

左から、祖父・祖母・父とBOSS🎩♬