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BOSSブログ

2024.02.28 【転職初日】

気温3℃の風が強い水曜日☀️

 

1993年8月2日(月)、近藤商会に入社した。

AM7時、「おはようございます。」玄関をくぐる。早めに出社してくる全員と挨拶を交わす。ニコニコ顔😊で迎えてくれたのが、M君とSさんの2人だった。函館本店は85名。挨拶したそのほとんどは、私に対する好奇の目だ。経営者一族という事もあるし。特に営業の連中は「東京から来たらしいが、お手並拝見と行こうか⁉️」という目つきのヤツらがかなりいた。特に35〜50代の幹部連中。私は、穏やかな顔で【お手柔らかに♬」と口では言いながら、「オレをナメてたらいずれ大怪我するぜ❗️オマエら‼️」と内心、腹の中で静かに燃えていた。

AM8時、「部課長会議」に出席。課長代理以上で約20名。「数字の見通しと読み」を徹底的にやっている。活気があり、私の好きなムードである。が、内田洋行時代とは違い、皆さん言葉が訛っているし、話しも非論理的では伝わりにくい。まずは自己紹介して「幹部の皆さん、よろしくお願いします。」と私。それから全員でラジオ体操🤸‍♀️

AM8:30。朝礼。本支店ごとに。各課毎に点呼、キビキビしていて、軍隊方式、気持ちがいい。私も嫌いな方じゃないが、なんだか時代遅れのよう。3分間スピーチは、全員が周り持ちでやる。コレは良い。しかし内容が幼稚だな。最後に、交通安全に関する注意点や励行があり、コレは新鮮だった。サスガに車100台以上保有している会社だ。徹底しているところに納得いった。

企画室室長を命ずる。池見社長より辞令が渡された。「特に決まった仕事は無い。とりあえず、会社のプラスになると思えるような事を色々と考えてくれ。ただし、ウチにはウチのやり方があるから、皆とあまり揉め事は起こさないようにな」と釘を刺された形になった。企画室には2つの課がある。管理課と販促課。管理課は飯坂課長と関さん。販促課は私だけ。管理課は経営会議や各統計結果の資料作り、CE部隊と顧客の機械修理連絡窓口だった。飯坂さんは50歳、古参の社員で若い頃はチョット鳴らした営業だ。身体を壊したので内勤になった人だ。とても親切な人。まず、1週間掛けて、組織と人の特性データを集めてアタマに叩き込む事にした。経理課の Sさんにも協力をあおいだ。

取締役会9人=池見社長・相川副社長・浜専務・池見常務・建嶋部長・石垣支店長・伏見支店長・丸山部長・船木推進役

さらに、経営会議が11人・部課長会議21人という意思決定機構。

事務機器部=販売1課・販売2課・特販課・設計課・技術課・業務課

教育機器部=営業1課・営業2課・業務課

室蘭支店=営業課・設計係・技術課・業務課

苫小牧支店=営業課・技術課・業務課

総務部=庶務課・経理課

商品課=配送係・施工係・地方発送係

総勢133名の顔と名前を徹底的に目に焼き付けた。私は東京から単身乗り込んで来たわけだから、社員からすると他所者に縄張りを荒らされると思うのが当然だ。私が逆の立場であれば、同じなのだ。

転職というのは闘いなのである。販売会社の営業マンはヨソモノを面白がってその実力試そうとするものだ。そんな事は100も承知。私は地の利が全く無いので、まともには闘わない。第一、ほとんど知らない事ばかりだから、話にならない。かと言って下手に出たり、大人しくしていたりすると頭に乗ってくる…。戦争というのは、軍事力の強さで決まると思われがちだが、実はそうではない。現代は情報戦だ。何より大事なのは情報なのである。何でも良い。できるだけ多くの情報、皆の強みや弱点や性質などを集めて自分だけのデータベースを創り上げる。それを巧みに操れると不意打ちができるので勝利は近くなる。そして組織や人に有益な情報を活用できる人には人心が集まる。人柄が良ければなおさら良いが、その自信はあまり無かった😅

他にも、近藤ユーザックが約25名。

入社して1週間は、毎晩21時ころの帰宅。そんな感じでいろいろな絵図を勝手に描きながら、この会社でもオモシロ忙しくできそうだ♬😃

 

※オマケ

 

パパ👨の真似して千鳥ハンチング♬😃

3歳くらいのポッキー🐶♬😊