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BOSSブログ

2024.03.14 【売上至上主義の頃】

気温8℃の陽気な木曜日☀️

 

「とにかく、売上だ❗️」

これが会議に初参加した時の第一印象だ。当時の近藤商会の意思決定パイプは主に、経営会議(月1)・作戦会議(月1)・課内会議(月1)・早朝会議(週1)の4つ。年間計画に対する進捗状況と最終見込みを確認し対策を打つのが目的だ。かなり、タイトな詰め方をしていると感じた。さすが、販売会社である!この点は感心した。前職よりもやり方はずっと厳しい。

しかしながら、話の中心はほぼ売上額のみである。粗利益率・粗利益額も大事とは言いながら、粗利益が不足している分は売上の増額で全体をカバーすれば良いという感じである。市場は、官学需と民需。売上比率で6:4だったと記憶している。表向きは民需の数字の方が大きいのだが、リース会社・建設会社・同業者への売上の中には、納入先が官公庁や学校であるケースが多い。正確にはわからないが、おそらく圧倒的に官需が大きいと思った。特に、2〜4月は年度末需要期と言われ、実に年間計画の40%以上の売上を占める。

事務機器部も教育機器部も忙しい。営業課も業務課も技術課も商品課も…帰りが23時過ぎなんて皆ザラである。私もパソコン販売が急激に伸びていた頃で、見積もりに納品にトラブル対応にで、超多忙。しかし、翌朝は6:30までに出社する。まぁ、世の中全体が長時間労働をする事を美徳として捉えていた時代だったのかもしれない。「アイツは、夜遅くまでよく頑張っている!」とか「ウチのお父ちゃんは働きモノで、エライ!」とか、各家庭で違うかもしれないけど、そんな雰囲気はあったのかも。ちなみに我が家はそっちの方だった。私が朝帰りになろうが、土日が仕事だろうが、ネネ👩から文句一つ言われた事は今までに無いな。「遅くまでご苦労様❣️」と。やはり、当時はまだまだ会社優先というか仕事最優先が世の正論だったと思う。私も30代までは仕事以外の、趣味なんて考えたことも無かった。ダンスや黒人音楽なんて40代になるまで、すっかり忘れていたし😅(笑)

びっくり!した事がある。売上対象は、何を売っても良いのである。オフィス用品・教材・コンピュータ・家電…だけではないのだ。お客さんから欲しいと言われるモノは全て揃えて納品する!コレが最も優秀な営業マンの証のように思えた。例えば、「ウチの子どもが熱帯魚🐠欲しがっている」と。即ペットショップに行き、仕入れて納入する…の類いは日常茶飯事である。他にもストーブ他あらゆるモノを仕入れていた。「違法薬物以外は何でも販売OKなのか…?」と思ったくらいだ。

ライン全体の数も同業者と比べダントツで多いし、顧客の数も多いので、売上は良く上がり、全道でも圧倒的なトップクラス。全国でも、県庁所在地に本拠地が無い事務機ディーラーとしては他に類を見ない存在だったと思う。そして経営陣も社員もそれを誇りに感じていた。また、売上計上に関しては当局も経営者もコンプライアンス意識がお互いに低い時代で多少のことは許された時代だった。私も「今月は1000万ほど足りないな」と言われると、平気で翌日に1000万を作りだしてきたモノだ。現在何の自慢にもならないが、それはそれで、とても大らかで良き時代だったのだろう。

そんな毎日を過ごしてるウチに、「そろそろ、この辺でこんなやり方から足を洗うべきだな」と思うようになった。理由は幾つかある。法令遵守はもちろんだけど、当時の私はそんな事は二の次だった。問題あれば自分で責任取れば良い!と思っていた。

そんなことよりも大きな問題は、「仕入買付が合理的ではない!」という事だ。当時の仕入先は軽く500件以上あったはずだ。発注手配・仕入・検品・買掛金管理・倉庫管理…営業マンの数以上の内部スタッフを用意しなくては間に合わない。売上が伸びれば伸びるほど、人件費が嵩み、いずれ労働倒産を招かないとも限らない。私はそう考えた。「ヨシ❗️10年掛けて営業改革をやってやろう」と。「オレが納得する仕組みを構築してやる!」と。

会社経営の本質は「合理化を徹底的にやる」という一言に尽きる。これは私の持論である。他の会社に当てはまらないかもしれない。私の体験上、一つの真理であると思っている。

いずれ、アスクル改革→デジタル改革→新人事制度構築→分散株式集約→働き方改革→コンサルティングビジネス…と続くのだが。

この頃は、まだその序章にも至らない頃である。

 

※オマケ

6、7才くらいのポキミル🐶🐩♬