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BOSSブログ

2024.04.06 【アスクル改革③】

気温14℃ポカポカ土曜日☀️

 

(前回より)

https://www.kond.co.jp/presidentblog/presidentblog-20465/

 

2008年夏、日売り220万→400万へ!が合言葉だった。毎日、NIのポータル画面に前日の売上実績が表示される。「いつになったら400になるんだろう?300でさえ、程遠い…」全員そう思ったはずだ。ちなみに400万/日×20日×12ヶ月=9.6億。これに土曜日の売上を+と10億になる計算である。

まず、カタログに工夫をした。数千冊のカタログにインデックスシールを外付けした。カタログが最強の営業ツールだった。2008年頃は、まだインターネットよりも、FAX📠受注が主流だったのだ。原始的手法だが、「これで他社と差別化できる」。後年、意外にこれが効いてくるのだ。が、この時は皆、命令されて疑心暗鬼の中でやっていたと思う。とにかく、細かい単純作業でシンドかった。全員が毎日のように夜遅くまで残業代無しでやっていた。函館本店・室蘭支店・苫小牧支店の全員が。

私は、既存の市場は社員に任せて、単身で札幌に向かった。新規市場の開拓である。ひと月の半分以上は、札幌で過ごした。取引先も売上実績もゼロの状態。マッサラである。飛び込み訪問は効率が悪いと考えた。まず、色々な会合に出席した。C社主催の「座右の銘」で知り合った方々を中心に、営業活動を仕掛ける。某薬局グループ・Nグループ・H大…と契約を結ぶ。この活動を1年ほど続けた。また、苫小牧支店Oさんの活躍により、札幌の薬局市場がドンドン伸びてきた。

また、佐藤さんを中心に電話📞攻撃チームが東京の顧客を開拓する。こちらは主に観光市場だ。さすがに大企業を獲得すると、日売りも次第に伸びてくる。

そして、既存エリアでも徐々に売上が増えてきた。一旦離れた顧客も次第に戻ってくるようになった。竹谷副社長を中心に医療福祉チームが発足、市場が活性化してきた。

2012年になり、日売り400万が安定化する。そして念願の札幌支店を開設した。これはアスクルの専任部隊だ。後年、テレワークによる新しい働き方を実践する中、コロナ禍となり、思い切って札幌支店を閉鎖した。忘れられない思い出である。

2008〜2010年までは、本当に苦難の時代であった。特に2009年の決算は忘れられない。08年に続いて2年連続の赤字の可能性があった。それだけは避けなければならない!と思った。倒産の危機では無いが、私の経営姿勢に対する世間からの不信感が問題だ。退職者が更に出ている中、私は再び勝負に出た。「6月決算までの3ヶ月間、私を含めた全員の給与を15%カットする」と社員全員に伝えた。私の報酬は、昨年より50%カットしている。「この3ヶ月目標が達成できたら、6月賞与でカットした分を上乗せして支払う。この危機を全員で乗り切ろう‼️」と。この時が私にとって人生最大のピンチだったかもしれない。「もしかすると、全員辞めてしまうかもしれない。どうするか?」それくらい、当時の経営はヒト頼みだったのだ。

会社は、ヒトがいなければ成り立たない。その言葉は現在の近藤商会でも同じである。しかし、意味が全く違う。人口減少の中、システムやAIやロボットに置き換えられる仕事と、ヒトでなくてはならない仕事を切り分けた方が良い。

私はそう考えて、アスクルを選択した。2010年頃になると、日売りが300万になった。この頃から皆の顔にようやく明るさが戻ってきた。

その後、次第にインターネット受注にシフトしていった。

軌道に乗った理由がもう一つある。2008年のリーマンショック・2011年の東日本大震災。私達が最も苦しい時に生じたアクシデント。世の中が混乱している時にこそ、我々は暗躍できたのだ。

言葉は悪いが、それが真実だと思う。状況次第では、失敗していたかもしれない。いや、むしろその可能性は大きかったと思う。私は「一か八かの勝負」に賭けたのだから。

私達はツイテいたのだ。それは、「全員アスクル!日売り400万!」不安を持ちながらも信念を持ち続けて全員が諦めずにやり続けたからだろう。その姿に天が味方をしてくれたのだと、今でも皆さんに感謝している。

(次回は、アスクルのお世話になった方々のお話し)

※オマケ

一歩、前へ‼️ 強気女子ミルキー❣️😅笑笑