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BOSSブログ

2024.04.16 【オフコン②】

暑いけど曇りがちな火曜日🌥

 

(前回より)

https://www.kond.co.jp/presidentblog/presidentblog-20677/

 

近藤商会には、オフコン販売のノウハウが全く無かった。当然、内田洋行の力を借りる事になる。内田洋行札幌支店に東京からコンピュータ専門のOGさんが転勤してきた。北海道にはまだ契約代理店も無い。そこで、頻繁に函館に出張する。近藤商会の持つ地縁人脈を探りながら営業活動を続ける。ようやくH運送で商談になりそうな気配。東京からMZ事業部長も応援に駆けつけて…皆の力が結集してついに受注❗️ちなみに、これが北海道におけるUSAC第1号機だ。

確か1971年だったと思う。湯川近くに出来たばかりの函館市民会館の小ホールで「USAC」展示会を開催していたのを覚えている。私は小学5年、生まれて初めてコンピュータを観た。内容は全く覚えていないが😅(笑)後の幹部SIさんがまだ新入社員だった?と朧げに記憶している。

近藤商会の営業組織は、①地区担当課②機械課③教育課の3つである。そして、②機械課はさらに2つに分かれる。機械係と電子計算機係だ。聞き覚えた話なので、正式名称なのかかどうか?は、私にも判らない。しかし大きく間違ってはいないはずだ。

機械課の課長はSGさん。機械係長はIZさん、部下にSKさん。電子計算機係長はSTさん、部下にSIさん。錚々たるメンバーである😁USACはおそらく2人でスタートしたのではないかと思う。

それから、13年後に社会人になった私も「USAC」に関わる事になる。80年代になると、時代背景もまた変わる。アルビントフラー「第3の波」の影響により、情報革命がトレンドになる。この辺からコンピュータ業界は急速に進展する。従来のコンピュータビジネスはハードウェアが主役であったが、今後はソフトウェアが重要になってくる。「ソフトウェアクライシス」とも呼ばれ、これからはシステム力のある人財が大量に必要となると言われた。業界各社は、新入社員のほとんどをSEに仕立て上げたい!と考えていたようだ。私もそのように教育を受けた1人だ。

また、当時は「ニューメディア」がトレンドになる。NTT三鷹ラボでは、ISDN・LAN・VAN・CATV…等、新しい技術の実験を重ねていた。そういえば、オンラインもまだアナログ回線で4800・9600bpsの頃だ。文字しか通信できなかったのだ。

(次回は、KU発足の話)

 

※オマケ

ポッキー🐶=ふたご座♊️😁

BOSS🎩=みずがめ座♒️  ズルって…😅(笑)