ベルフェイスデモ体験 アスクルサイト 補助金 助成金 診断

BOSSブログ

2024.04.18 【オフコン③ KU発足】

東京→函館は気温15℃の木曜日🌤

 

(前回より)

https://www.kond.co.jp/presidentblog/presidentblog-20690/

1982年に近藤ユーザック(株)が分離独立した。電子計算機係の売上も伸び、「USAC」も全国的に知名度が上がってきた。また、SEが営業の倍以上に増えてくる。ソフトの請け負いが主体で、人的評価の尺度が特殊になってきた。この分野はまだまだ伸びる!と判断し、別法人にしたのである。

経営陣は、池見社長・相川専務(父)・高橋常務。幹部は、ST部長・SI課長・I課代。OK室蘭営業所長。その後、苫小牧駐在も設置。ちなみに高橋常務は内田洋行からの出向である。その2年後に入社したのが、中村昭君とSY君だ。

ハードの売れ筋は、「2001エンジンシリーズ」と「自立型端末カマラード」。この頃になると、オフコンもホストに端末が複数台、ぶら下がるようになる。HDの容量は最大で135MB、補助記憶装置はFPD、しかも8㌅!デカ‼︎😅(笑)

民間市場が主である。場当たり的に動くのでは効率が悪い。業種別に攻略法を練る。流通卸業、建設業、水産2次加工業…徐々に新たな市場を拡大した。業務は、ベーシックな売上売掛・仕入買掛在庫・財務会計・給与計算・生産管理…を得意とした。実績が出来ると、同一業種の会社に対し転売できる。ソフトウェアの転用が比較的にやりやすいのも業種営業のメリットだ。何よりSE工数の削減に繋がる。そうして順調に業績も伸びた頃に、新しい考え方が世の中に生まれた。’80年代後半だ。コンピュータは元々、「自動帳簿付け機」のような位置付けだった。それが「せっかく蓄積されたデータなのだから、もっと戦略的に活用するべきだ」と。いわゆるSISブームである。KUもこの波に乗り、◯千万を超える大型受注も増えてきた。

一方で、SEの残業も問題だった。おそらく100時間/月超えは日常茶飯事だったと思う。徹夜だってザラである。私自身も同じ経験がある。世の中全体が、それを美徳とした時代だったのかもしれない。TV📺をつけると「♬24時間、働けますか⁉️Japanese Business Man♬」というドリンクのCMが流れる。そして、残業代は基本給含みで処理される。

私は、これを断じて良いとは思わない。しかし反面、否定もしない。矛盾しているようだが、本質的に理由がある。もし、その人が好きでやっている事なら、辛くないはずだから。それだけ仕事に熱中できるなら、時間を忘れるくらい楽しいのだろう。しかし、身体は必ず疲れるモノだ。人間、疲れたら休まなくてはいけない。病気になってしまうからだ。義務でヤル仕事だけでは、充実しない、と私は考える。この視点があって、後に現行の人事制度が産まれるが…それはまた別の話し。

そして、コンピュータ業界にまた新しい時代の波が押し寄せてきた😉

(次回に続く オフコン④ ピンチ!😵)

 

※オマケ

5年前の花見🌸♬